日向美商店街
―この商店街に来ると いつも音楽がきこえてくる
親子二世代で紡がれた 優しくて力強い音楽が
倉野川駅から歩いて10分ほどの場所にある、昭和レトロの懐かしい香りが残る商店街です。かつてはサブカルチャー誕生の地として全国から若者が集まる活気ある商店街でしたが、企業誘致と第三セクターによる鉄道事業に伴いさくら野ニュータウン地区が開発され、県道沿いにロードサイド店舗が急増し経済圏が西側に傾いた結果、衰退。さらに、ショッピングセンターの進出が追い打ちをかけ、相次ぐ閉店によりすっかりシャッター街となっていました。その後、商店街の5人の女の子によって結成されたバンド「日向美ビタースイーツ♪」を中心とした街の人達の団結により、徐々に活気を取り戻し、現在はチャスコや銀座商店街とも倉野川新商業圏として提携。音楽を元にした活気的なイベント施策や「猫のまち」と名付けた街づくりから今は倉野川の観光事業をも牽引する立場となっています。
◆歴史
街おこしがまだ一般的でない昭和中期、商店街に住む若者が中心となり積極的にイベントが行われ、頻繁にテレビに取り上げられるようになり、全国的に名が知れた存在となります。遠く東京からも多くの若者が訪れるほどの活気は、この地に多くの文化を生み出しました。特に「シャノワール」には全国から新進気鋭のデザイナー、ミュージシャン、小説家志望などの若者達がこぞって集まり、数々の文化交流と前衛的作品が生まれ「シャノワール族」という言葉もあったほどです。当時商店街に住む若者達で結成したバンド「日向美ブルームーン」はサブカルチャーを好む若者達のカルト的人気を集め、街はさらに加速度的に変容していきました。
しかしこの変容は治安の悪化も招き、その事により商店街内部で対立を引き起こします。その後、様々な事件や問題が週刊誌に取り上げられてからは急速に客足が低迷。さらに、さくら野ニュータウンの開発により古くからの地元の買い物客も街の西側に流れてしまいました。
それから、十数年を経て「日向美ビタースイーツ♪」が誕生します。中高生の女の子5人で結成されたこのバンドは街の人と人をつなげ、失われた地域の絆を取り戻し、分裂していた商店街の人々に再び強い結束力をもたらし、日向美商店街は活気を取り戻していきます。「日向美ビタースイーツ♪」のメンバーは、奇しくもかつて街おこしの中心的存在であった「日向美ブルームーン」のメンバーの実のお子さん達。思えば日向美地区のルーツである橘姫も琵琶で美しい音色を民衆に聴かせていました。この商店街はいつでも音楽によって支えられていると言えるでしょう。
倉野川城址公園
―団子を口にすると 目に入る 三色の景色
深緑の山並み 白壁土蔵 色づく桜並木
この地方随一の桜の名所。春になると、多種多数のさくらやツツジが咲き、県内外の多くの観光客でにぎわいます。また、園内には博物館などのほか、野外ステージ、野球場、テニスコート、陸上競技場などの施設もあります。城址公園大広場には団子屋「うつぶき」本店があり、地元の糯米粉を材料にした団子餅を白餡、小豆餡、抹茶餡の三種で包んだ三色串団子が古くから地域の銘菓として広く知られています。
◆歴史
倉野川城の元となっているのは、城址公園の北西の端にあったとされる室町時代の伯耆国守護所。現在の城址は戦国時代に尼子氏によって築城されたものと考えられています。その後、里見氏が入城し、江戸時代は池田氏家老の倉野氏の居城となりました。現在の公園の形は明治37年にこの地方に要人が訪れた時に造園されたものです。巡らされた散策路には桜4千本、ツツジ4万本が植栽されている他、樹齢三百年を超えるヤブツバキが群生しており、日本さくら名所100選、日本の都市公園100選、森林浴の森100選等に選ばれております。公園名物の三色串団子の歴史は古く、元弘3年に後醍醐天皇を船上山に迎えた名和長年が天皇に甘茶団子を献上したという故事が由来となっております。
たちばな美観地区
―目を閉じて 聴こえてくるは 琵琶の音の
仲睦まじき 両姫の囁き
白兎神社を中心とし風情ある古民家が密集しているエリアです。
由緒あるお屋敷、格子戸の宿や商家の町並みが今もそのまま保存されています。柳並木も相まって独特の情緒を醸し出し格好の散歩道となっております。
◆歴史
尼子氏の侵攻により落城した櫻月城から、城主・舞御前を庇うようにしてこの地に辿り着いた配下の猛将・橘姫。
敵の執拗な追手から逃れ満身創痍で今にも息絶えそうだった二人は、兎月堂宗久を中心にしたこの地の者達に匿われました。
やがて傷が癒えた二人は、この地で民に混ざり身分を捨てて暮らす事になりました。歌と舞が上手であった舞御前。琵琶の名手であった橘姫。
二人は救ってくれた民への感謝を込め、生涯を閉じるまで惜しみなくその美しさを披露しました。この地の民達は後世に二人の存在を伝える為、琵琶を作り歌をうたいました。
いつしかこの地は橘姫の名前を取り橘郷(たちばなごう)と呼ばれ、昭和中期の区画整理まで、琵琶職人の里として隠れるようにひっそりと存在していました。
そして、現在はたちばな美観地区として倉野川の代表的な観光名所となっております。
その落ち着いた静けさと時代を超えた雰囲気に和み、ゆっくりと散策しながら舞御前と橘姫に是非想いを馳せてみて下さい。
白壁土蔵群
天神川のみずばた
―美味しい日本酒と珈琲はいかがですか?
この美しい水の流れも含めて ご賞味下さいませ
「みずばた-水端」とは天神川水系の伏流水を活かした綺麗な水を、集落の中を巡る水路に通し生活用水に利用した、旧橘地区周辺に見られる文化です。
天神川の伏流水は地域に特徴的な水辺環境の下支えとなっており、「伯耆の名水百選」にも選ばれている名水です。
◆歴史
みずばたが始まったのは江戸時代中期とされています。当時の橘地区は楽器のふる里として有名であり、同じく楽器の里として名高い「いかごの里」と頻繁に交流があったようで、よく橘の者が訪問していたようです。ある者が針江に立ち寄る機会があり、そこで水を有効利用した「川端文化」に非常に感銘を受け、帰郷してから橘の長老に報告したそうです。橘地区では、すぐに「川端文化」にならうように地区に水路が整備され清流を中心にした文化がここからはじまったそうです。
みずばたを流れる伏流水はミネラルの少ない軟水で、辛口端麗の日本酒の仕込みや珈琲を淹れる水などに向いています。日向美商店街の店舗では昔から調理や製造、加工に一般利用されている水であり、その水質の良さは商品の価値を高めているようです。
さくら野舞御前伝説
―天空の城の舞姫と義将 乙女繚乱 舞い咲き誇れ
古くは櫻野ヶ原と呼ばれたこの地を統治し、御前山山頂に居城を構えた櫻月(おうげつ)氏。戦国時代の尼子氏の侵攻、江戸時代の新田開発、昭和高度成長期のさくら野ニュータウン構想により櫻月氏ゆかりの史跡は殆ど姿を消してしまいましたが、昨今の歴史的史料の発見により櫻月城を始め多くの建造物の設計図が詳らかとなり、「ふるさと倉野川TMO」を中心に「櫻月氏遺構再現プロジェクト」が現在行われております。櫻月城は兵庫県朝来市に存在する竹田城と非常に似た形の美しい山城で、完成すれば第二の「天空の城」となると歴史好きから多くの期待が寄せられています。
◆歴史
時は戦国時代。さくら野の御前山にある櫻月城には歌と舞が上手な事から民衆に「舞御前」と呼ばれて慕われていた姫が周辺を統治し、善政を敷いていました。舞御前の側近には橘姫という、その剣の腕より「鬼切姫」と周辺でも名が知られた女武将がいました。2人はとても仲睦まじく、橘姫は琵琶の名手であったので舞御前が美しい歌と舞を披露する時に、いつも側で合わせて演奏をしていました。
ある時、後に『大永の五月崩れ』と言われる山名氏と尼子氏の守護職を巡る内紛が起きました。舞御前は山名氏側についていましたが尼子氏の猛攻により周辺の城が次々と落城し、ついに櫻月城にも尼子氏の大軍が押し寄せてきました。橘姫は舞御前を守るために城を出て、首級100余をあげる一騎当千の大奮戦をしましたが、所詮多勢に無勢。ついに敵軍に入城を許してしまいました。
橘姫は舞御前を捨て身で庇い、満身創痍になりながらもなんとか日向美の地に逃げのびました。2人は、日向美の民達によって保護されこの地で身分を捨てて暮らすことを決めました。その後は、ひそやかですがとても幸せに暮らしたそうです。
御前山の櫻月城周辺には演奏を披露する為のとても立派な舞台があったそうです。舞御前は民衆たちを舞台の前に呼び、分け隔てなく橘姫と紡ぐ音楽を聴かせていたようでその歌は敵から自分達を守る為の秘密の暗号としても使われていたとされています。神秘的な山の様相と舞御前の伝説が重なり、御前山は一時期心霊スポットとして有名になったことも。
やまもり温泉
―美しい山なみ、緑の森、満天の星空
吹きわたる爽やかな風を感じながら贅沢なひとときを
その名の通り大自然の中に存在する天然温泉かけ流しの露天風呂。夜遅くまで入浴する事ができるので、綺麗な月や星を観に来る人も多いようです。付近にはキャンプ場や牧場、タケノコ狩りが出来る施設もあり、春と秋にはピクニックやキャンプの行楽客で大変賑わいます。
◆歴史
やまもりの温泉施設は新しく、蒜山・大山の山々に囲まれたこの場所に出来たのは約3年前です。もともと景観が良いという事で有名な場所であり、ピクニックやキャンプを行う市民が多かったので、その需要に答えた形でバーベキュー・キャンプ場から作られたのが始まりのようです。
一方、温泉としての歴史は古く少し離れた場所には古くからの温泉街が存在しています。開湯伝説は諸説ありますが、鶴が入浴しているところを弘法大師が発見し温泉地として整備したという話が最も有名なものです。その湯の美しさから古くは「しろがねの湯」と呼ばれ日本の名湯百選にも選ばれています。源泉温度は40-62℃、湧出量は毎分337リットル、種類はラドン温泉で線量は隣接する三朝温泉に次いで日本国内第二位。国民保養温泉地として認定されています。