倉野川市役所観光課が中心となって立ち上げたまちづくり機関『ふるさと倉野川TMO』でタウンマネージャーをさせて頂いている久領堤 纒(くりょうづつみ・まとい)と申します。
『ふるさと倉野川TMO』では観光大使『日向美ビタースイーツ♪』を通して皆様との交流をはじめ、アンケートや意見交換などにより倉野川の街をより一層活性化させて行きたいと考えております。
宜しくお願い致します。
タウンマネージャー 久領堤 纒
『ふるさと倉野川TMO』では観光大使『日向美ビタースイーツ♪』を通して皆様との交流をはじめ、アンケートや意見交換などにより倉野川の街をより一層活性化させて行きたいと考えております。
宜しくお願い致します。
タウンマネージャー 久領堤 纒
- 倉野川の歴史2015/07/13 17:20皆様、こんにちは。
タウンマネージャーの久領堤です。
皆様からのお便りを拝見しておりますと、倉野川市へのアクセス、歴史、観光名所等について多くのお問い合わせがありました。
観光地の具体的な紹介につきましては現在専用ページを鋭意制作中ですが、簡単な概要を今回ここでご説明させて頂きます。
倉野川は山陰地方の真ん中あたりに位置する人口7万人ほどの市です。
東京からは新幹線と特急を利用すると、姫路を経由して5時間ほどの距離です。
県内では3番目に大きな街ですが、とてものんびりとして静かな雰囲気です。
倉野川の歴史は古く、平安時代の国府にまで遡ります。
その後長い間山名氏によって統治されておりましたが、戦国時代『大永の五月崩れ』で尼子氏に敗れた事により、その後は尼子氏により倉野川城が建てられ統治されていました。
尼子氏の後は里見氏が入城、その後は池田氏家老の倉野氏の封地となりました。
現在の倉野川城は城址公園として、市民の憩いの場となっております。
しかし最近の研究結果により独立勢力として、山名氏統治と思われた時代の一部が、山名氏と協力関係であった国人衆の櫻月(おうげつ)氏により統治されていた事が判明致しました。
櫻月氏は櫻野ヶ原(現在のさくら野地区)に居城を構えて、現在の倉野川市一帯を統治していたそうです。
長い間この事実が明らかにされていなかったのは、日向美ビタースイーツ♪のメンバーの芽兎さんのお家の倉庫に櫻月氏の『櫻月舞御前伝』という書物が大事に封印されていたからです。
何故封印されていたかと言うと、そこには2人の女性の秘密の物語があったからです。
この戦国時代でも類を見ない浪漫溢れる伝説の発見は非常にセンセーショナルな出来事であり、市役所の観光課を沸き立たせました。
まちづくり機関『ふるさと倉野川TMO』が作られたのも、この大きな魅力的な事実の発見によるところが大きいです。
古い建物が並び現在美観地区化を進めている『橘地区』は櫻月氏の舞御前と非常に深い関わりを持っていた橘姫の故郷として多くの歴史家から注目されています。
倉野川の名産品である竹輪も、実は舞御前と橘姫の好物であったのではないかと現在研究が進められております。
『舞御前と橘姫の伝説』はこれからの倉野川の観光戦略の柱となっており、皆様に広く知って欲しい魅力的なお話でもあります。
このお話は日向美ビタースイーツ♪によって『乙女繚乱 舞い咲き誇れ』という素敵な曲にもなっています。
現在の倉野川市は私たち『ふるさと倉野川TMO』によって、『古よりつむがれる音楽の里の物語』として観光整備開発を推進しております。
舞御前と橘姫、橘の里の琵琶職人達、日向美ブルームーン、そして日向美ビタースイーツ♪とこの倉野川は時代時代に常に音楽が深く関わっています。
最近では東雲さん達によってプロモーションが行われている『音楽中華屋ロンロン』も話題になりつつあります。
私はタウンマネージャーとして、街に散らばる素晴らしい史跡・歴史的建造物と山形さん達が行う音楽活動を上手く結びつけるお仕事ができたらと考えております。
まとい
- カテゴリ>>
- 観光情報